続、教わる態度

一昨日の日記で取り上げた記事から辿って読んだ記事から思ったことを少々。


例えば万人に馬鹿にされない服装マニュアルと言う記事があったけど、「万人に馬鹿にされない」なんて到底ありえるとは思えない。「大抵の人から・・・」ならある程度可能だろう。でも誰からもっていうのは無理だ。
ファッションなんてどのレベルであっても常に差別的だ。なぜなら、ファッションっていうのは他者との差別化を図るものであり、お前と俺とは違うんだよと示すものだからだ。自己に対するラベルみたいなものと言ってもいい。もちろんラベルには分類の機能もあるから、そっち方面に特化したもの、例えば軍服や学生服、もある。メイド服やセーラー服も記号化が進んだファッションだと言える。それでも所属グループを他から区別するものではある。
ここでのファッションは、そのまま“おしゃれ”に置換えててもいい。おしゃれは自分を着飾ることが目的ではなくて、そうすることで行う自己表現なんだ。いや、手段が過剰に目的化している人もいるよ。でもそういう態度は批判や嘲笑の対象になる。


「おしゃれは自己表現であり、服やアクセサリーはそのための道具である」という立場からすると、着るものに気を使わないことは自分自身に気を使わないのと同義になる。そして、表現すべき何物もない存在です、と宣言していると受け取る。そしてそれは彼らの価値観と対立する態度だ。
ファッションに無頓着な人間を自分たちと同じ人間と思わない態度はここに起因する。


非オタや脱オタからの、脱オタクファッション指導に対して「見下ろした態度を取るな」とか「自分たちの価値観ばかり押し付けるな」と反発する人は、自分たちの態度が彼らの価値観を傷つけていないかと考えてみるべきだ。そしてその上で毅然と言えばいい。「俺はプライドを持ってこの格好をしている」と。
どんな物を着ていたって誰かが必ず小馬鹿にするし、「センスないって思われたら」「ダサいって思われたら」なんて気にしていたらそれこそ着られる服なんてなくなる。根拠なんて無くていいから、自信を持って堂々としていた方がいい。それだけで文句は言われにくくなる。


それと、刺身☆ブーメランさんの言う「不潔そうな格好だからキモイ」と思われないとか思われるというのはファッションとか着こなし以前の問題だと思う。そう思われないためのマニュアルは

  • カラダは清潔に保とう
  • 寝癖は直そう
  • 歯や唇に海苔なんかがついていないかチェックしよう
  • シャツにはアイロンをかけよう。
    • 全体にかけるのが大変なら、襟だけはピシッとさせよう
  • ボタンを掛け違えていないかチェックしよう。
  • シャツのすそがズボンからはみ出していないかチェックしよう
    • 歩いていると出てくることがあるから、こまめにチェックしよう
  • 毛玉だらけのセーターや袖の擦り切れたトレーナーは着るのを止めよう
  • 破れた綿パンを穿くのも止めよう
  • 踵の磨り減った靴は、かっこ悪いし危ないぞ

みたいなところから始めるべきなのかもしれない。薄々わかっていてもはっきり言われないと、治らないんじゃないかな。「ここはクリアーしてる」って怒る人なら、不潔そうとは思われていないだろうし。