先日の続き 〜id:Leiermann氏への反論、のようなもの

先日の記事に対して大変興味深いコメントをいたただいている。せっかくなのでもう少し議論を深めたい。が、僕はあまりコメント欄が長くなるのが好きではないので別記事とする。
なお、この記事はコメントの延長ではあるが、別記事としたので「ですます調」で記述することはしない。ご了承願う。


Leiermann氏のコメントに

「ファッションは自己表現」という主張と「ファッションは趣味」という主張は矛盾すると思いませんが、

とあったのだが、僕の主張は「ファッションは“単なる”趣味ではなく、一種の自己表現である」だ。ファッションの趣味性を否定しているわけではなく、ファッションの特性を趣味性だけに限定するのはおかしいとおもうということだ。故に「不当な矮小化」という表現を用いたが、上手く伝わらなかったようだ。
なぜLeiermann氏がこのように勘違いされたのか考えてみたのだが、自己表現すなわちコミュニケーションを重視することに対する無意識の反撥があったように感じてしまった。これはなんとなくそう感じたというだけなので、違っていたらすいません。


さて、初めに引用したLeiermann氏のコメントは以下のように続く。

「外見に重きを置かない」という「自己表現」をしたい人や、「『ダサい』といわれる服が最も自己を良く表している」という人はどうすれば良いのでしょうか。あるいは、「視覚的な美的感覚」を理解しない人(顕著な例としては、目の見えない人)も存在すると思います。こういう人をも受容してはじめて「ファッション」を重視するという価値観は成立すると思うのですが、いかがでしょうか。

外見に重きを置くのが嫌ならそうすればいいし*1、ダサい格好が自分らしいと思うのなら(そしてそういう格好がしたいなら)ダサい服を着てればいい。自己表現のツールとしてはそれが自然で健全だ。少々傲慢に響いたかも知れないが、ファッションは全てを表現しきれる魔法のツールではないのだから、こう書くしかない。
が、万能ではないからといって、それが無力であることにはならない。目の見えない人もいるのだからファッションによる自己表現が無意味だと言うのなら、ファッションと同様に絵画や映像も無意味なものだし、聴覚障害者がいる以上音楽も表現たりえないことになる。表現がターゲットを設定せざるを得ないのは残念ながらしかたのないことだ。ファッションを重視する人間も、そうしない人間だっていることを知っている。それだけでは受容したことにならないとするのならば、どうすれば受容したことになるのだろうか。

僕の12/24付けの記事は、身なりに気を使わないことで侮蔑されるのは何故かという問いに対する一つの回答として、多少エキセントリックに誇張して書いたものだ。
僕自身はファッションだけでその人を判断すべきではないと思うし、多くの人もファッションだけで判断しているわけではない。しかしファッションは重要な判断材料の一つとされるし、黙っていることによって誤解されることもある。「服なんかに必死なってバカじゃないの?」と口にする人をなくすことができないように、ファッションだけで判断してしまう人をなくすこともできない。こういうエクストリーム過ぎる考えの人を減らそうする努力はすべきかもしれないが、どちらも存在している方が健全だと思う。ファッションコンシャスもアンチファッションも相手のことを認めるべきだ、というのでは奇麗にまとめすぎだろうか。
また、アンチファッションの思想がファッションコンシャスの価値観を傷つけている可能性に対して、アンチファッションの人たちは無頓着すぎるのではないか。このような思いがあったことを付け加えておく。

「マナー違反」という言い方は、ある種のメンタリティからすると当然の言葉かもしれないと思う。一般論として「異なる価値観を持つ人にマナーを強いるべきではない」と言う人もいるが、実際は価値観が異なるからマナー違反と非難されるのだ。マナー違反と説く人は、幾ばくかの不快感を感じている。上の段落で書いたことに繋がるが、相手の態度を頭ごなしに拒絶しないであげて欲しい*2。なぜ「マナー違反」という言い方になったのか、マナー違反とされた側からの考察を聞いてみたいところだ。


Leiermann氏のコメントに対して、僕が主張しておきたいことは以上である。
なお、ダサいファッションの代表格としてユニクロがしばしば名指しされるが、僕個人としてはユニクロの商品がダサいのではなくて*3、それを無批判に身につける態度がダサいのだと考えている。だから、因果が反転しているかもしれないが、往々にして全身ユニクロをしている人は無批判にユニクロを着ているので批判の対象とされがちなのではないかなと思う。
それと、いわゆるオタクファッションをしているというだけでその人を馬鹿にする者の多くは、自分よりダサいとされる服を着ている者を見て安心したいだけであり、そういう態度はオタクファッション以上に嘲笑の対象であることを最後に書いて、筆を置く。

*1:バンカラの気風が正にそれ。

*2:何度も同じことを語りかけられていい加減うんざりしているのだろうことは想像できるので、心苦しくはあるのですが。

*3:もちろんものすごくカッコいいわけでもないが。