刑事裁判と被害者遺族

4被告に無罪判決 明石の砂浜陥没死亡事故
「全員無罪」父ぼうぜん、泣き崩れる母 砂浜陥没事故
2001年の冬に起きた明石市の砂浜陥没事故に対して、国交省明石市の職員が刑事起訴されていた裁判の地裁判決が出た。判決自体は、過去に行政機関が個人として責任を問われた裁判と比較しても、極めて妥当だと思う。このような裁判では、よほど重大な過失や悪意がない限り、個人が刑事責任を問われるべきではないし、そしてそういう判決が出たのだ。
報道や被害者遺族からのプレッシャーもあったろうが、神戸地裁は冷静さを保ったといえるだろう。
それでは納得できないという被害者遺族の気持ちもよくわかる。目の前で愛娘が生き埋めになったのだ。その悲しみと苦しみは、僕の想像の埒を越える。
それでもあえて言う。
裁判は怨みを晴らす場ではない。

死亡した美帆ちゃんの父親金山一彦さんは、

砂浜を管理する立場にあった被告らに責任がないのなら、手をつないでいなかった私が悪いというのだろうか

と述べたらしいが、それはちょっと違うと思う。裁判所の判断は、誰が悪いという類の事故ではなかった、ということだろう。
そもそも裁判は誰かを吊し上げるためのものではないのだが、僕には一彦さんが誰か生贄を探しているように感じられてしまう。判決に納得しろといっているのではない*1。しかし、裁判の目的を間違えているのではないかという気がしている。
おそらく金山一彦さんは責任感の強い人なのではないか。強いからこそ誰よりも自分を責め、苦しめてしまった。その結果、他の誰から「悪いのはあなたではない。彼だ。」と言ってもらいたくなったとしても、誰も一彦さんを責めることはできないし、責めてはいけないと思う。
しかし裁判にそういった形の救いを求めるべきではない。それは刑事裁判の本質を損なう行為だし、たとえ望むような判決が出たとしてもその判決は何も生み出さないのだから。
検察がこの裁判をどこまで続けるつもりなのかは知らない。しかし全てが終わった時に、金山一彦さんが「仇を取った/取れなかった」という気持ちにならないで欲しいと、心から願う。

*1:最高裁判決ならばともかく、まだ一審だ。