それでも岡田の首は切るべきだ

サッカー日本代表の岡田監督の首を切るべきだというお話。
ポイントは「辞任」さすのではなくて「解任」という表現にこだわること。結果が出てない監督の顔を立てる必要は無いからね。
何でいまさらこんなことを話題にするかというとこちらの記事をたまたま目にしたから。
岡田のみを叩いてるウチは世界が遠くなるばかり 日本-ウズベキスタン - 「やってみるさ」
このごろの代表戦すべてを見ているわけではないけれど、僕が目にした範囲での今の日本代表の戦いっぷりは困ったことにさほど悪くない。あの非常にイライラするの代表のどこが「悪くない」のかというと、チーム戦術の浸透、この一点に尽きる。
つまり岡田に言われたことはほとんど実現出来てるよね、ということです。
やりたいことが出来てるのに結果につながってないのはなぜか。
可能性その1:やり方が間違っている。
間違ったアプローチでは間違ったゴールにしか到達できなくて当然。アプローチの仕方を変える必要があります。
可能性その2:選手のプレーのレベルが低い。
もっと速く、もっと強く、もっと精確に。たとえばウォルコットのように速く、ドログバのように強く、セスク・ファブレガスのように精確な選手たちをそろえれば、すべて解決です。
残念ながら日本にはウォルコットドログバもセスクもいない。また呂蒙みたいに3日で見違えるほど上手くなるわけも無い。
今の代表選手たちのレベルが決して高くないことは否定しないけど、スキルはすぐには向上しないのだから、手持ちの選手で何とかしていく手立てを捻り出すのが監督の仕事なわけだ。これが愛すべきイビチャ・オシムの語るところの「日本代表を日本化する」作業ね。
ドイツ大会のときの代表監督は、クロアチア戦を振り返って「アドリアーノだったらゴールしていた」とほざいたが、柳沢がアドリアーノではないのは当たり前で、柳沢や高原で点を取る算段をつけるのがお前の仕事だろうと思ったことを思い出した。むしろ選手のスキルと経験にすべてを丸投げした状況で、勝ち点1をもぎ取ってきたことがすげえよ。
閑話休題。監督の求めるやり方が間違っているにしても、やり方は正しいけれどそのやり方で結果を出せる選手を選べていないにしても、すべての責任は監督にかかっている。あとその監督を選んだ協会にもね。
今監督の首を切ってもサッカー協会の能力と人脈ではろくな後任を連れてこられないだろうとは思うけど、それでも監督は交代させるべきだ。少なくともこんな手形を切るべきではない。

それ以上に目立つのが選手の不甲斐なさ。そこに声が出ない事への違和感に自分はいつもイライラする。問題はむしろこっちでしょう。

http://d.hatena.ne.jp/CHONO/20081015/1224100421

話がずれたけど(文句言いたいが為に意図的にずらしたけど笑)、まず問うべきは選手の個の低さであり、基準値Aの低さである。そしてこのチームの選手達は「アテネ五輪予選で勝ち点3の選手」「ドイツW杯予選で勝ち点1」「北京五輪予選で勝ち点0」の選手達なわけで。この事実を忘れてはならないし、それを前提にした発言ってものがあるでしょう。既に済んでいる格付けに見向きもしないで「アジアでは良いけど世界で通用するかは、どうかと思いますけどねぇ…」とかくだらない論調かましているジャーナリストは何なんですかね?格付けの結果出してきてしたり顔されても困りますわ。

http://d.hatena.ne.jp/CHONO/20081015/1224100421

個人的には不甲斐なさとスキルレベルの低さは同じではないと考えるけど、いまの代表チームが不甲斐ないことには同意します。しかし、「既に済んでいる格付け」をわざわざ蒸し返す必要は無いでしょう。選手個人の能力が足りないのは代表の戦略を語る上の前提になっています。この選手たちでこのやり方ではダメだから監督を変えろ、という主張は筋の通らぬものではありません。日本チームにとって監督とは世界やアジアの強豪と渡り合い打ち倒すための何かをもたらす者でなければならない。残念ながら日本はまだそのレベルです。
あ、中村俊輔はドイツ大会のときの中田(英)の気分を噛みしめてたんじゃないかな。
何度でも書きます。岡田の首は切るべきだ。