京阪バスの回数券

僕の住んでいる地域は京阪バスの営業エリアなのですが、来る3月よりPiTaPaICOCAでの利用が可能になります。
今は販売額5000円の回数券を利用していますが、PiTaPaにするのが得なんでしょうかね?
僕が主に利用するのは220円区間なので、その条件で検討してみました。

現在でも京阪バスは販売額5000円の回数券を売っています。*1
この回数券の額面額は5770円です。内訳は220円券が26枚と50円券が1枚です。
つまり一区間あたりの乗車料金は5000×(220/5770)≒191円となります。割引率は13.2%です。
パンフレットによると、PiTaPaを利用してひと月に34回乗車したときの割引率が13.18%なので、ほぼ同様の割引率になります。
よってひと月の間に35回以上バスを利用した場合はPiTaPaで決済した方が安くつくということになります。

朝晩利用するとして、18日以上出かけるならPiTaPaを使えってことですね。
よければ参考にしてください。

*1:これは回数券カードではありません。紙できたちぎって使う昔ながらの回数券です。

モノクロ写真をやりたいのだけれど・・・

久しぶりにモノクロ写真を撮りました。
大人の科学』の付録のトイ二眼レフと古いマニュアル一眼で1本ずつです。
昔は自分でフィルム現像してましたが、今はラボ出しです*1
トイ二眼がテスト撮りだったんで、同時プリント無しで発注しました。
そもそも本当に写っているの?くらいの気持ちでしたもん。
あがってきたネガには別段の問題はなかったです。トイ二眼で撮った方はコマ間隔と露出にバラつきがありましたけど、それはカメラ側の問題ですから。


ネガを眺めた結果、やっぱり何枚かプリントも作ろうと。
ちゃんとモノクロのペーパーに焼くと大事になってしまうのでどうしようかと思ったんですが、カラー用の印画紙に焼くので良ければそのお店でできるとのお話だったので、それを試してみる事にしました。


プリントチェックの結果。

  • 階調性は悪くない。
  • コントラストはかなり眠い。
  • トーンは青みがかっている。

うーん、予想以上に癖のある仕上がりでした。
眠いのはネガ現像のせいかもしれないのですが*2、冷黒調とはまた違った青さ加減がなんとも微妙。ポートレートには絶対向かない色調ですね。無機物を撮ってもコントラストが眠いのでそれもちょっとな感じですが。
とりあえずネガ現像くらいは自分でやった方がいいかもしれませんね。ある程度は仕上がりをコントロールできるので。

*1:アルバムなんかの撮影もやっている写真屋さんに出したけど、カラーは自分ところでするけどモノクロの現像は流石に外注に出すそうです。

*2:ネガチェックではあまり感じなかったけど伸ばすと印象は変わるのでなんとも。

若冲ワンダーランド@MIHO MUSEUM

MIHO MUSEUMで開催中の『若冲ワンダーランド』展に行ってきました。
ロケーションがロケーションなのでクルマです。
家からさほど遠くもないので、高速にも乗らず下道を延々行きましたが、絶好のドライブ日和で快適でした。
走行距離は107km、平均燃費は19.3km/Lです。

MIHO MUSEUMに行ったのは初めてでしたが、いや確かに「シャングリラ」だわ。
山の中に凄いの建てちゃったなーと思わざるを得ませんね。

今回の『若冲ワンダーランド』展はMIHO MUSEUM自慢の『象と鯨図屏風』を中心に展開されていますが、ブライスコレクションから『鳥獣花木図屏風』も来ていまして圧巻のエキシビジョンでした。
どちらも伊藤若冲の代表作とされるだけあって素晴らしい迫力です。特に鳥獣花木図屏風』は今回のような水墨中心のラインアップの中では一際目を引きますね。
かなり満足度はかなり高かったです。
残念ながら図録は品切れで買えませんでした。まぁ御縁がなかったということで。

常設展の方も結構充実していて、かなり良かったですね。
ロケーションがロケーションなのであまり強くお薦めできませんが、興味のある方はどうぞ。後悔はしないと思います。

あ、もしお車で行かれるのでしたら、県道522号線は使われない方がいいかと思います。はい。

クルマのない週末

水曜日に母がクルマをフェンスに当てまして。
家に帰って見てみると、バンパーが完全に脱落しておりました。あとフェンダーやライトのレンズに傷が。
その日はディーラーが休みだったため、翌日に来てもらいました。
僕は仕事があるので、連絡なんかは全部ぶつけた人にお任せです。帰ったらもうガレージは空っぽでした。
結局、バンパーとグリルを全交換らしく9万円くらいかかる見込みです。フォグランプが交換にならなかっただけ良かったと思いましょう。
せめて一年くらいは無事に乗りたかった。

Jリーグ第25節 鹿島アントラーズ対川崎フロンターレ 降雨ノーゲームに関して

今サッカーがらみの話題で一番盛り上がっているのは、鹿島と川崎の試合がどういう扱いになるかという点だろう。
結論から言えば、0-0からの再試合。これしかないと思う。
オイ、マテコラ。という川崎サポーターやアンチ鹿からの声が上がるのが予想できるが、規約と過去の事例からして、これ以外では筋が通らない。残念だけれど*1
まず、Jリーグ規約には試合成立の要件が記載されていない。
したがって審判のゲームセットの笛が鳴った瞬間が試合成立の瞬間と捉えるべきだ。よって「1-3でアウエー川崎の勝利」という裁定は無い。
次に、過去の事例ではすべて再試合となっている。
一貫性の維持の観点から過去の裁定は踏襲すべきである。よって「1-3、後半29分から再開」「1-2、後半開始時から再開」に正統性は無い。
スポーツがルールに基づき行われるものである以上、心情的に納得できないとしても、厳正かつ適正にルールを適用しなくてはならない。
以上が僕の基本的な考えだけれども、当然反論はあると思う。海外リーグでは途中から再開も珍しくないし、Jリーグ規約第39条を適用せよという意見もあるだろう*2

第39条〔悪天候の場合のピッチ整備の義務〕
ホームクラブは,降雪または降雨等,悪天候の場合であっても,可能な限りピッチを整備し,その競技場での試合を実施することができるよう最善の努力をしなければならない.

この条文に基づき処分を出すのなら、誰の目にも明らかに整備不良が認められる必要がある。今回のように「あれくらいならできるだろう」という声が大勢を占める場合*3に適用するのは難しいだろう。また、「1時間当たり何mmの降雨でも試合開催可能」のように要求される整備の基準も明確にする必要がある。
海外の例に倣うにしても、明文化された規定が無い以上、事後裁定は良くない。

第63条〔不可抗力による開催不能または中止〕
公式試合が,悪天候地震等の天災地変または公共交通機関の不通その他いずれのチームの責にも帰すべからざる事由(以下「不可抗力」という)により開催不能または中止となった場合には,その勝敗の決定方法は,理事会において協議のうえ決定する.

今回は第63条に基づき15日に理事会が開催される。情治主義に流されることなく法治主義による判断をされる事を強く望む。

*1:もちろんあと15分やれば3点取って逆転できたのに、という意味で。

*2:ネットではそう主張している人も見かけた。

*3:これこそが話をややこしくしている最大の要因だが。

論評から10000光年 または彼らは如何にして論評するのを止めて優越感ゲームを愛するようになったか

事の発端はお盆前にアップされた1本のエントリ「『プラネテス』のポリティカ その2 - 猿虎日記(さるとらにっき)」から始まる。このエントリは前記事続記事と合わせて反響を呼び、「プラネテス論争」正確には「ロックスミス論争」とも言うべき状態に発展している。
id:sarutora氏の一連のエントリは、ハチマキのナイーブさから入り、それが次第にロックスミス批判へ、さらにはトリアージ批判・ネオリベ批判と展開されていく様に、苦笑しながらも興味深く*1読ませて貰った。しかし先日id:toruot氏により「toruotの日記」がアップされたに当り、流石にそれはないだろうと反論をものすことにした。

ロックスミス論争

ロックスミスのキャラクター描写に関しては賛否あれど概ねコンセンサスが取れているとしていいだろう。
有能で傲慢、悪魔のようであり且グスコーブドリのようでもある人物。
作中のロックスミスはその悪魔性のみが描かれているのではない。それゆえロックスミスを一言で語るのは大変難しい。
が、ひとつ便利な言葉を思い出した。ロックスミスのような人物を評するに相応しい、忘れられて久しい言葉。
彼はモヒカン族なのである。
ロックスミスに対して、ある人は

最悪な いやな大人

『プラネテス』のポリティカ その2 - 猿虎日記(さるとらにっき)

と評し、またある人は

男の子で、アーティストなんだよ

http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20090817/p2

あるいは

ロックスミスは「大人」じゃなくて「理系」、「科学者/技術者」の一つの理想的な姿、極点じゃないかな。マッドサイエンティスト*2

http://b.hatena.ne.jp/monono/20090810#bookmark-15228838

など、さまざまに論評されている。これらはどれも間違っていないし、かといって正解でもない。人の行う人物評は自己の投影でしかないからだ。*3
とはいえ、繰り返しになるが、作中のロックスミスはその悪魔性のみが描かれているのではない。その部分をどう捉えるか。
僕は、モヒカン族ロックスミスとて心が倦む瞬間があるのだと捉えた。それは何を意味するのか。
ロックスミスはストーリー上のキーパーソンであり*4、エキセントリックな人として描かれてはいるが、彼もまたただの人間なのだ。特別ではない、普通の。
僕は今回のロックスミス論争は、モヒカン族を取り巻くメタモヒカン族とムラビトの抗争として捉えている*5。根本的に異なる価値観が対立軸なのだから永久に結論は出ない。しかし、議論がロックスミス論あるいはロックスミス的人物論の範疇にある間は、対立は対立としてそこに在れば良いと思う。
しかし議論はロックスミスを離れあらぬ方向へ深化する。

プラネテスのポリティカ その3」における飛躍

sarutora氏のプラネテスのポリティカ その3は、前エントリに寄せられたBW氏のコメントを引くところから始まる。引用されたのはコメントの内のわずかワンセンテンスである。
BW氏はそのコメントの中でsarutora氏のロックスミス評の根本的な欠陥*6を指摘しているのだが、その部分は見事に黙殺され、むしろ議論が飛躍するスプリングボードとして利用されてしまっている*7
sarutora氏曰く、「ロジックの反転が行われている」。
この「ロジックの反転」を行うのは誰か?それは作者ではない。読者である。ロジックの反転を論ずることはつまり、読者を論ずることに他ならない。ここに来てsarutora氏のロックスミス論は作品から完全な乖離をしているのである。

これマンガ批評と言うより、宮台真司あたりが社会批評の一環としてやるような「マンガ批評芸」だと思う。

http://b.hatena.ne.jp/y_arim/20090821#bookmark-15333681

ありむーのブコメは的確だ。マンガは既に方便へと化している。論評は10000光年の彼方、である。

sarutora氏の誤謬

少しプラネテス論をしよう。

大きな犯罪に、それを超える「大きなもの」や「高みからの視点」が対置されることにより、犯罪そのものが相対化されます。『プラネテス』においても、ロックスミスは作中で「悪魔」といわれていたり、「ヤマガタは私が殺した」と罪を認めているようにも見えますが、しかし、こうした「大きなもの」や「高みからの視点」がつねに背景にみえかくれすることによって、結局、殺したものとしてのロックスミスの具体的な責任は相対化され、矮小化されています。

http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20090814/p1

sarutora氏は、ロックスミスの背後にみえかくれする「大きなもの」や「高みからの視点」のことを「みんなの幸せ」「人類の幸福」と書かれた空箱のようなものであるとみなしているようだ。空虚なハッタリであると。だがそれは誤りだ。
ロックスミスを相対化するものは宇宙そのものなのだ。
ロックスミスが「君のその愛が彼の心をとらえた事などないのだよ」と言い放ったとき、彼の後ろには星空が広がっていた。
作品のラスト、ハチマキのスピーチの言葉はやはり星空に浮かんでいた。
相対化されているのはロックスミスだけではない。ハチマキの悟りもタナベの愛もユーリの思い出もフィーの葛藤もゴローも男爵もサンダースも何もかもが相対化されているのだ。宇宙を前にしては、どれもこれも大差のないものとして。
プラネテス』は人の物語ではない。それが描き出すのは宇宙そのものであり、こういう作品をハードSFと呼ぶ*8
ハードSFの作品のキャラクターから作品そのものに対しての主観的な読み解きを加えるのは大間違いだ。なぜならキャラクターはその世界を構成する要素のひとつでしかない。

はてサの自縄自縛 あるいは援護射撃のつもりが味方に当たってしまったでござるの巻

前の段落ではロックスミスのみを取り上げて『プラネテス』全体を論ずるのは誤りであると書いた。しかし、ロックスミスを通じて行う社会批評までを否定するつもりはない。本筋をそちらへ持って行くのならば、タイトルを「プラネテスのポリティカ」ではなく「ロックスミスに心惹かれる者たちに共通するポリティカ」とするべきだとは思うが、sarutora氏の論評自体は賛否はともかく存在してしかるべきだ。
だが、id:toruot氏の「toruotの日記」はいただけない。

まずはおさらい。

二種類の人間

 (a) 宇宙開発のことをわかってないあいつら

 (b) 宇宙開発のことをわかっている私たち

を用意しまして。んで、

 (a)に対して(b)が説教かましてキモチイイ

というのが、「プラネテス」のやっていることです。


わかってないマスコミや遺族(a)に対して、わかっているロックスミス(b)が宇宙開発の何たるかを教えてやる、という構図。

プラネテス」ファンは、もちろん宇宙開発についてわかっている(つもりの)人たちですから、作中の(b)の人に感情移入していて、作中で(a)の人がヘコまされているを見てキモチイイわけですね。

(ちなみに、(a)に説教しているから(b)は宇宙開発のことがわかっている、(a)に説教しているから(b)の方が偉い、ということにされているだけです。本当に(b)は宇宙開発のことが分かっているのか、とか、本当に(b)の方が偉いのか、というような問いは、存在しません。(b)の人はこれといった根拠もなくわかったようなツラをしているのです。)

toruotの日記

今回、id:sarutoraさんのエントリに対しての反論のなかに、「わかってない」というものがあります。曰く、「宇宙開発がわかってない」、「SFがわかってない」、「理系がわかってない」、「アーティストがわかってない」と。

しかしこれはまったく反論になっていません。

なぜなら、この反論のロジックは、sarutoraさんを

 (a) わかってない人

とみなし、いっぽう自分を

 (b) わかっている人

とみなして、んで、(a)に対して(b)が説教かましてキモチイイ、というものだからです。ようするに「プラネテス」と同じロジックです。

プラネテス」で用いられているロジックを批判しているエントリに対して、当の批判されているロジックを用いて反論しても意味がありません。こう再反論されるだけでしょう、「だからそういうロジックでキモチよくなっちゃってていいのかな、と言ったんだけど」。

今回、「わかってない」系の反論が噴出したということが、むしろsarutoraさんの読みが正しかったことを証明しているような気がします。

toruotの日記

引用前半部分の認識も間違っているし*9、後半部分のロジックはそのままsarutora氏やtoruot氏の論評を批判するのに使える素晴らしき自縄自縛である。バカじゃないの、このピース・ウォリアーズめ。
そして何より、どうして敵も味方もまとめて愚劣極まる優越感ゲームに引きずり込むような真似をするのだろうか。id:toruot氏やid:noharra氏は優越感ゲームが大好きなのかもしれないが、それを求めていないはてサだっているだろうに*10
マンガ批評はいつの間にやら優越感ゲームになっていた。そっちに行っちゃダメなんだよ!

サンダース大佐の皆さんへ

sarutora氏や彼に同調する皆さんはサンダース大佐についてどう思いますか?ロックスミス論だけではなくサンダース論も聞かせてもらいたいところであります。
あまり関係ないことかもしれませんが、僕はsarutora氏はきっと黒ブチメガネに白ヒゲなんだと思っています。

*1:失礼を承知言えば、珍獣を見る視線であったけれど

*2:ロックスミスモヒカン族という評価は、id:monono氏のそれに比較的近いかもしれない。

*3:だから
ステレオタイプを見出だすのは自分が見出だしたいから。」
(http://b.hatena.ne.jp/Darbar/20090809#bookmark-15228838)
は正しい。これを否定することはポリティクス・フリーな批評の存在を認めることにつながる。それは、はてサにとっては自己否定に他ならない。

*4:それでいてロックスミスが主人公であるハチマキと絡むシーンがほとんどないことは『プラネテス』の構造を読み解く上で重要な点だ。

*5:sarutora氏はロックスミスがカナを侮辱したと述べているが、これは正にモヒカン族の態度をムラビトが批判する構図そのものだ。

*6:もちろんsarutora氏の論に組しない側から見てのものであるが。

*7:このやり口は汚い。

*8:幸村誠はSF者とは思えないので、『プラネテス』がハードSFになったのは結果的なものだろう。

*9:少なくとも僕にはsarutora氏の論評はそのようには読めない。

*10:sarutora氏のブコメ(http://b.hatena.ne.jp/sarutora/20090823#bookmark-15475407)を見る限りでは、彼自身は優越感ゲームを嫌っていないようだが。

HT-03A トラブル

サマーウォーズ」見てきました。そんなに面白く無かったです。
それはそれとして、HT-03Aが壊れました。
症状は「通話の発信ができない」「通話の受信が出来ない」「3G/2G回線でネットにつながらない」。
ドコモショップに持ち込んだら、機体の初期化やらSIMカードの再発行などいろいろしてくれましたが、結局新品と交換になりました。アンテナ周りの不具合が起きたのかな。しばらく様子見です。